教育移住の転機は突然訪れた

Bonjour à tous! 渋柿です。

子供が生まれてからもずっと、私はずっと海外で子どもを育てる機会を伺っていました。

アメリカやカナダ、オーストラリア、ニュージーランドへの留学、マレーシアの英国系スクールへの留学、スイスやアメリカ、カナダのボーディングスクール。いろいろ調べました。

しかし、どれもこれも費用が高かったです。1年2年ならともかく、一定の効果が期待できるように何年も行くことはできそうにありませんでした。特にボーディングスクールは1年くらいしか行かせられないと思いました。

このまま日本の教育に入れて、ある程度大きくなってから単身で留学させるしかないかな、とも思っていました。

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転機は突然やってきた

ひょんなことで、夫がフランスで仕事をする話が降ってきました。フランス!?!?えー!って思いました。

私にとってフランスとは、一度観光で行ったことがある国でしたが、印象が良くありませんでした。空港で係員に不当に拘束され別室に連れて行かれたり、フランス語が一言もわからないから意思疎通が難しく、空港バスでも不親切にされましたから。正直、最初に話を聞いた時、あまり嬉しくありませんでした。

何よりも、私は子どもを外国で育てたいと強く思っていたのですが、それは英語圏でのことばかり考えていたのでした。非英語圏のことなど頭の隅にもありませんでした。

しかし、子どもを外国で育てるチャンスですし、自分自身が日本での生活に閉塞感を感じていたので、すぐに気を取り直して準備を始めました。

特に、フランス語はフランスに着いてからでは遅いと思って、早めから勉強を始めました。

日本出国

日本でも諸々を片付け、フライトの前日に友達の車に乗せてもらって空港近くのホテルに泊まりました。連日準備に追われていて、精神的にも肉体的にもくったくたでした。

ホテルでは、しばらく食べられないかもしれないと思う中華料理を食べ、早々に就寝しました。いよいよだな、と気持ちが昂りました。

翌朝、ホテルから空港行きバスに乗り込みました。本当に、いよいよだと思いました。

空港でチェックインの際に、ダンボールに入ったいくつかの荷物を預けると、「お引っ越しですか?」とカウンターの係りの人に声をかけられました。「はい、引っ越しです(そうなんです、フランスに引っ越すんです!←心の声)」と答えたのをよく覚えています。

ゲートで搭乗を待つ間、子供がキッズスペースでブロンドの髪の女の子と言葉もわからないのに一緒に遊んでいました。たったこれだけのことで、我が子が国際化しているようで嬉しかったのも良く覚えています。今となってはそういう状況は日常的すぎてなんとも思わなくなっていますが。

機内では終始機嫌よく過ごしました。フランスに着き、予約してあったホテルにチェックインした時には、引っ越し準備と長旅で疲れ果てていました。

子どもは行き倒れのようにベッドに横になったまま翌日まで目を覚ましませんでした。

その2日後には、幼稚園の園長先生との面談の約束が入っていました。怒涛のフランス生活の始まりです。

まとめ 老けた。

あの日から、子供は幼稚園を卒園し、バイリンガルにもなり小学校も卒業しました。無事にここまでたどり着くことができて、本当にホッとしています。

日本へ帰ろうと思えば帰れた状況にもありましたが、家族で散々話し合ってフランスで子供の教育を続けることを選びました。

楽しいことばかりではなく、私はメンタルを病み、日本にいる片親を亡くし、コロナの外出制限にも巻き込まれました。夫は円形脱毛にもなりました。

ひどい夫婦喧嘩もするようになったし、子どもを叱り飛ばすこともありました。

そして、外出制限が解かれた今、おばあさんのように老け込んでしまった自分がいます。フランスで試させる度に性格もキツくなってしまいました。

正直言って、疲れました。満身創痍。

でも、この決断は正しかったと、家族みんなが思っています。

長かったような、あっという間だったような。あと何年フランスにいるのだろう?と思いつつ、この日常を生きていきます。

A bientôt!

この記事を書いた人

日本人一家でフランスに教育移住して10年近く。9月から念願の学生に。子供はコンセルヴァトワールで音楽をやりながらクワトロリンガルを目指す中学生。

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