Bonjour à tous! 渋柿です。
子どもがフランスの小学校を卒業したのを機に、小学校生活について総括しています。
前回は、小学1年生の思い出についてまとめました。

小学2年生はこんなだった
担任
本来なら、1年ごとにクラス替えがあるはずでしたが、たまたま新入生と2年生の数の調整のために、例外的に1年生のクラスが2年生に持ち越しとなりました。
担任の先生は1年生の時と同じく、クラスメートが数人増えただけの状態となりました。うちの子どもはこの担任の先生に気に入られていたこと、仲の良い友達とも相変わらず同じクラス、親切なママ友もいるし、ということで、私たち親子にとって幸先の良いスタートととなりました。
習ったこと
やはり、一年を通じてフランス語中心でした。
第一次、第二次世界大戦について習いました。戦争体験者を学校に招いて、ドイツ軍がどんなに酷いことをしていたのかという話を中心とした経験談を聞きました(フランス人の好きなパターンです)。子どもたちは、兵士が被っていたヘルメットを被せてもらったりしました。
日本はドイツと同盟国だったためか、このテーマを取り上げている最中は、送り迎えの際に先生に会った時に、「大丈夫ですか?」と妙に気を使われました。
クラスの特徴としては、先生が美術好きということもあり、美術館への遠足や、その美術館でみた絵の作者についてに知識を得ること(カンディンスキーだった)、教室内でその画家の作風を真似て描いてみる、ということをしました。


また、美術の授業の一環で、1年生の時と同様に、母の日や父の日には、子ども一人ひとりがカードを手作りし、カードの中には詩が書かれていました。
他のクラスと合同で映画を見に行くことも数回ありました。
年度の終わりには、1年生の時と同様に学習発表会がありました。この年は上級生と合同で、お題は「みんなの歴史は世界の歴史の中に」でした。
生徒それぞれの祖先(祖父母か曽祖父母あたり)が、どんな人物だったのか、ということを各家庭でまとめて、世界の出来事(特に戦争)と交えて発表する、というものでした。
このテーマをきっかけに、クラスメートのほとんどが、祖父母か曽祖父母の代で近隣ヨーロッパ諸国やアフリカからフランスに移民してきていることをしりました。子どもは、「クラスにフランス人はいないかもしれない」といっていました。重要なことを考えさせるテーマだったと評価しています。
困ったこと
赤点常習生徒と無理やりペアを組まされる
お喋りが多く、先生の話を聞かない子供が、1年生の時に比べるとさらに扱いにくくなってきました。生活態度の赤点制度「ポワンルージュ」により、赤点をもらう面子は決まっていて、「またあの子が」みたいな状況が常態化しました。そのうちの1人が際立った存在でした。
クラスのイベントや引率に関わってみて分かったのですが、この子はかなり手強く、大人を相当に苛立たせる性質がありました。
クラスで美術館やプールへ徒歩で移動する時や、学習発表会など学校内で誰かとペアになる必要がある時には、うちの子供のような大人しいタイプが、この一番手のかかる子供とペアを組まされることになり、うちの子どもはストレスを抱えていました。親としても、勘弁してほしいと思いましたが、せっかく上手くいっている担任との関係を変えたくなかったので、この件については抗議することなく、このクラスが終わるのをひたすら待つことを選びました。
子供には、「○君は先生の話を聞かないて授業中うるさくしたりして赤点ばっかりだけど、いいところがあるはずだから、そこだけみて対応してみたら?」と苦し紛れのアドバイスをしてみました。まだ小さくて素直な子どもは「○君はサッカーがとても強いんだよ!」と、彼のいいところを見つけてきました。これで学習発表会のペアも乗り切りました。
今思うと、こんな子供騙しが通じたのも、子どもが小さかったからです。大きくなった今では、自分の嫌な相手とペアを組まされるようなことがあれば自分から先生に抗議するなり何なりして対応できると思います。
給食後の罰則タイム
子どもが給食を食べたがらなくなったのも、この年でした。子供の話によると、給食の世話をしてくれる大人(先生ではない。市から派遣されてくる人たち)たちの中に、やたらと子供に罰を与える人がいるとのこと。具体的には、食事の後に静粛にする時間を設け、静粛にできない子どもがいると1分づつ静粛が延長されてしまう。喋ってしまう子が後をたたないから、静粛時間がどんどん増えてしまって、結局遊ぶ時間がなくなってしまう。静粛にできない子に付き合わされるのも嫌だ、とのこと。
先生でもない、給食と休み時間の世話のために市から派遣されてくる人に、子供を安全に遊ばせる役目はあれど、子供に罰を与えてコントロールし、休み時間を奪う権限なんてありません。他の学校に子供を通わせている親御さんにも聞いてみたのですが、こんな罰則はありませんでした。おそらく、この人は、自分の立場を利用して子供を牛耳って気分良くなっているタイプの大人なのだろうと思いました。幼稚園の時にも、放課後の遊び相手で来ている大人の中にもこのタイプがいましたから、フランスあるあるです。
こういうタイプの大人と関わらせていると、子供に悪影響ですから、給食は一切キャンセルし、家でお昼ご飯を食べることにしました。私1人でできる対策はこのくらいしかありません。きっと、他の親たちから抗議されて、この大人は移動させられるだろうと思ったので、それまでの我慢と思い、お昼もお迎えをして家で食べさせました。家から学校まで少し遠かったので、これがかなり大変でした。
数ヶ月後、この大人は移動させられ、給食の後の罰則タイムも無くなったということなので、給食を再開しました。


私の体調悪化
朝と夕方の送り迎えに加えて、お昼のお迎えとお昼ご飯の用意。時間が細切れになって時計ばかり見て疲弊しました。それと、給食後の罰則タイムやクラスのペアの問題に関しての心労。年齢的なことも加わってか、この後日数年にわたるうつ状態が勃発したのもこの年でした。

良かったこと
親切なママ友と相性の良い担任
自分の体調は優れませんでしたが、1年生の時と同じく親切なママ友たちがいたことと、担任も変わらなかったのでクラスの様子がよくわかっていたことが幸いしました。子供も少し大きくなって体力がつき、1年生の時のように、放課後疲れすぎて泣くということもなくなりました。うちの子どもはこの美術好きの先生には前年度同様に気に入られていたので、先生のとの関係に気を揉むということもなかったです。子どもが美術好きになったのもこの先生の影響があると思います。
飛び級の提案
学年末には、担任から飛び級の提案を受けました。両親が決断したら、あとは子供が検査を受けるだけです、夫婦で話し合って至急回答してください、とのことでした。
話し合った結果、1年上のクラスでも成績優秀になれるかどうかはわからないし、友達関係も変わってしまう。飛び級したら1年早く中学に入ることになって、少し遠い中学まで1人で通うことになるのが心配。だったら、今のまま成績優秀で余裕あって、友達関係も変わらず、1年早く中学に入る心配がない状態の方が親としても心配なくていいのでは?それでも次の学年で同じ提案を受けたら承認しよう、ということになって、この提案はお断りしました。
先生にお話しすると、「では、次の学年でも同じ提案をされたら再考してみてください」とのこと。
後日、友達にことの経緯を話したところ、「喜び勇んでouiっていう親がほとんどだと思うよ。親の方から先生に要求するケースもある。バイリンガルにするとか飛び級するということが親のステイタスにもなっているから。」とのこと。へぇ、一見平等主義的なフランスもいろいろあるのねえと思いました。
この一件で、学校での勉強には困っていないということがわかって安心しました。
まとめ
担任はやや強権的と思わせるところがありましたが、低学年クラスを統率するのにはこのくらいの実力行使が必要と思いました。フランスの子どもって全然話を聞かないし、自己主張も強いし、親もそれぞれです。
いろいろなことがありましたが、たまたま担任と相性よく、気に入ってもらえて我が家としてはラッキーな2年間でした。
A bientôt!




