自分は移民になったのだなぁ、としみじみするのはいつ頃なのか?

移民

 

Bonjour à tous! 渋柿です。

 

海外移住した皆さん、「ああ、移民なんだなあ。」と身につまされたのはいつ頃でしょうか?これはかなり個人差があると思います。個人的な資質の差や状況も影響すると思います。

 

いつ頃「移民になったなあ」としみじみしたのですか?

私の場合は、フランスに来て4年後くらいでした。まず、フランスに入国してすぐに移民局に届け出て、呼び出しを待ちます。呼び出された日に必ず出頭して、契約書を交わして、滞在許可を交付されます。

移民契約書

その後、滞在許可の種類によっても変わってきますが、フランスで生きていくための生活指導講座に呼び出されます。これも呼び出された日に必ず出頭します。

こういった、一連の呼び出しに対して、必ず出頭して対応することが、初めての更新のときに大切になります。

昔、海外に移民するとなったら、日本には戻らないつもりで新大陸を目指し、移民船に乗って、何ヶ月もかけてハワイや南米大陸を目指し、日本人コミュニティーを作って、荒野を切り開いて苦しい生活をしながら子供を育てて、という厳しい営みがありました。この辺のことは、私は、歴史の教科書でちょこっと習って、その後、興味をもって少し調べてみた程度なので、あまり詳しくはありません。

しかし、時代状況を考えると、「移民」というのは人生の一大決心であったということは容易に想像がつきます。日本からの最初の集団海外移民は今から149年前の、明治元年だそうです。

日本最初の集団での海外移民は、1868年(明治元)に40人余がグアム島、153人がハワイ、1869年(明治2)に40余人がカリフォルニアに渡航したのがはじまりである。

後に「元年者」と呼ばれるようになるこの最初のハワイへの移民は、主にサトウキビ耕地の労働者として、横浜駐在のハワイ領事ヴァン・リード(Eugene M. Van Reed)が日本人の口入屋を使って京浜地区で集めた人たちであった。職人が中心であったが、農民や武士も含まれていた。

ヴァン・リードは、幕府から渡航印章(旅券)の発給を受けていたが、明治新政府がこれを認めなかったために、許可のないまま渡航を強行した。

移民を乗せたサイオト(Scioto)号は1868年5月17日(慶応4年4月25日)未明に横浜を出帆、1868年6月20日(慶応4年5月1日)ホノルル港に到着した。

ホノルルまでの航海は順調であったが、農場に入った後、移民たちは、不慣れな気候の下での過酷な労働と、物価高による生活の困窮に苦しみ、同年12月には移民元締の牧野富三郎らが日本政府に救出を求める嘆願書を寄せる事態に至った。

引用 ブラジル移民の100年

 

翻って、2000年代の移民とは、なんと様相が変わったのでしょう。ただの生活スタイルの変更、程度にも捉えることができます。羨ましい、なんて言われることもありますよね。

私の場合は、移民局への出頭、生活講座に出席していても、全く身につまされた感がありませんでした。長い旅行、と言っては軽すぎますが、悲壮感なんてゼロでした。むしろ、日本での4年間の育児からフランスに来て、清々していた感もありました。

生活講座に行くと、政治的な理由でフランスに逃れて来た人もいました。彼らは、祖国のことを語りたがらないという深刻な状況でした。彼らは自分とは対照的で、深刻な理由で移民する人がいるものだなあ、と客観的に思ったくらいです。こんな風に思ったのは、きっとそれまで比較的平和で幸せに生きてきたからでしょうね。

もちろん、昔の移民のように、荒野を切り開くような重労働するわけでもなかったし、日本人村に入村するわけでもなく、今では連絡しようと思えばスカイプもあるし、乗り換えなしで日本まで飛行機で行ける。こういった現代の状況が、私が移民するにあたって昔のような一大決心を必要なくしてくれていたのでした。

 

まとめ 本質的には今も昔も変わらないよ

 

しかし、本質的なことは今の移民も昔の移民も同じです。このことに気づいてハッとしたのが、4年後くらいでした。

言い換えると、それまでは長い旅行のような、テンション高めの状況が続く、ということです。

私の場合、フランスに移住して4年後というと、子供も育ってきたし、生活の基盤も整い、フランスでの生活も順調になってきた頃。その時、ふっと思いました。「移民したんだなあ。こういうの移民1世っていうんだよね!?」と。

そして、大昔、移民船に乗ってブラジルやアルゼンチンを目指した日系移民1世の希望や苦労を想像して、胸が熱くなったのでした。彼らの後には、2世、3世と続き、今では移民先の社会の隅々に拡散しています。3世にもなると、もう日本語を話さなくなると聞きます。

こういったことに思いを馳せながら、「今までもまあまあ大変だったけど、これからはこれからのことを考えなきゃ」なんて思い始めたのでした。

 

A bientôt!

ABOUTこの記事をかいた人

渋柿

日日家庭の妻。フランスの公立小学校に通う子供の母であり夫は日本人。フランスに移住して5年。投資歴10年。音楽歴は30年以上。フランス語はアリアンスでC1クラスに入るレベル。国際結婚でも駐在奥様でもない独自の視点で、フランスから海外移住や学校生活など様々な話題を渋くお届けしています。